格安国内旅行のオリオンツアー|坂本龍馬特集

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土佐藩、高知城下に町人郷士坂本家の次男として生まれる。 坂本家はもともと商家で、龍馬は自由で合理的な町人気質に触れながら育った。 窮屈な土佐藩を飛び出し、幕臣勝海舟のもとで航海術を習得し、長崎で貿易会社を兼ねた政治結社・亀山社中、そして海援隊を結成し隊長となる。また、対立していた薩摩藩と長州藩の間を調停し、薩長同盟の締結に尽力。さらに、徳川慶喜の大政奉還を画策し、明治維新を大きく推し進める原動力となる。しかし「世界の海援隊を作る」という夢半ばにして、何者かに暗殺され、33年の短い人生の幕を閉じた。  
 
 
 
~坂本龍馬年表~
 年代
 経歴
 1835年(1歳)    11月15日、現在の土佐(現・高知県)に生まれる。
 1846年(12歳)
 
  漢学の小高坂楠木山庄助塾に入門。まもなく退学。
 1853年(19歳)
 
  剣術修行のため江戸へ。
北辰一刀流千葉定吉道場に入門する。
ペリー来航を目撃。
佐久間象山塾に入門し西洋砲術を学ぶ。
 1854年(20歳)
 
  土佐に帰国。河田小籠に会い海外事情を聞き啓発される。
 1856年(22歳)
 
  剣術修行の名目で再び江戸へ。
 1858年(24歳)
 
  千葉定吉より北辰一刀流免許皆伝を受け土佐へ帰国。
 1861年(27歳)
  武市瑞山率いる土佐勤王党に加盟する。
 1862年(28歳)     土佐勤王党から離れ、沢村惣之丞と共に脱藩。
勝海舟を訪ね、弟子となる。
 1863年(29歳)   勝海舟の尽力により脱藩の罪を許される。
神戸海軍塾開設、塾頭となる。
土佐藩の帰国命令を拒否し再び脱藩。
 年代
 経歴
 1864年(30歳)    池田屋事件勃発。禁門の変で多くの同士を失う。
勝海舟の使者として西郷隆盛と面談。
神戸海軍操練所が事実上閉鎖。薩摩の庇護を受ける。
 1865年(31歳)

  鹿児島西郷宅に逗留。
薩摩藩の援助を得て、亀山社中を設立。
桂小五郎と面談。
 1866年(32歳)

  薩長同盟成立。
寺田屋で襲撃されるもおりょうの働きで脱出。
お龍と結婚し、鹿児島へ日本初といわれる新婚旅行へ。
 1867年(33歳)

  脱藩罪を赦免される。
亀山社中を「海援隊」と改名し海援隊長に就く。
いろは丸事件を有利に解決する。
船中八策を策定し、土佐藩の進言による大政奉還を実現。
11月15日京都近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺される。
     
     
     
     
龍馬が大きな仕事を成し遂げられたのは柔軟な思考力、抜群の行動力、そして幅広い人脈があったからだ。
名立たる大物達が、脱藩をした浪士である龍馬と交流したのは、龍馬の人間的な大きさに魅了されたからだろう。
勝 海舟
幕末期の開明的な幕臣。龍馬とは師弟関係で互いに厚い信頼関係を持つ。渡米経験がある。
写真提供:国立国会図書館
中岡 慎太郎
龍馬と共に土佐藩を脱藩。薩長同盟に尽力した陸援隊隊長。龍馬共に近江屋で暗殺される。享年30歳。
写真提供:国立国会図書館
岩崎 弥太郎
「海援隊」で会計を担当。維新後は三菱商会を経営。東洋の海上王と呼ばれる三菱財閥の創始者。
写真提供:国立国会図書館
西郷 隆盛
大久保利通、桂小五郎と並び維新の三傑と称される薩摩藩の大物。薩長同盟を締結。
写真提供:国立国会図書館
桂 小五郎
維新の三傑と称される長州藩士。龍馬を仲介に薩長連合を締結。維新後、木戸孝允と名を改める。
写真提供:国立国会図書館

おりょう
池田屋で龍馬の危機を救う。後に結婚。龍馬と鹿児島へ日本で初めてと言われる新婚旅行へ行く。

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