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琉球王国のグスク及び関連遺産

沖縄県世界遺産分布図
沖縄には世界遺産がたくさん!
琉球王国の居城や沖縄屈指の聖地、英雄伝説が残る城に王家が眠る墓など、沖縄には9つの世界遺産があります。
そこに足を踏み入れて、それぞれの遺産の物語に触れ、琉球ならではの奥深い歴史や文化を感じてください。
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沖縄には世界遺産に登録された首里城・斎場御嶽(せーふぁーうたき)などの9つの建造物や遺跡があります。
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首里城跡
首里城は1945年の沖縄戦でアメリカ軍の攻撃により、全焼しました。その後琉球大学のキャンパスになりましたが移転にともない、復旧事業が推進され現在にいたります。1429年~1879年まで琉球王国の国王の居城でした。王城は、琉球の政治、外交、文化の中心として栄え続けました。発掘調査の結果、首里城は14世紀の末頃までには築かれていたことが明らかになっています。地形を巧みに活用し、内郭と外郭に分けて築かれています。城内には正殿・北殿・南殿などの重要な建物が御庭(ウナー)を囲んで建っています。
首里城跡インフォメーション

首里城跡

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勝漣城跡
与勝半島の根本にある、四方の眺望が抜群の丘に構える城跡。小高い山の上にあるので城からの景色は最高です。阿麻和利(あまわり)が居城した城と伝えられている勝漣城跡は、沖縄の城の中でも最も古く、12世紀頃に造られたと言われています。 阿麻和利は護佐丸を滅ぼし、さらに琉球統一を目指して国王の居城である首里城を攻めましたが、落城して滅びました。
勝漣城跡インフォメーション

勝漣城跡

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中城城跡
中城湾の面した高台に、北東から南西にかけてほぼ一直線に城郭が連なる城跡。15世紀中頃、築城家の名手と言われた護佐丸が築いたと伝えられています。首里王府に対抗する勝漣城主の阿麻和利を牽制するために、座喜味城主であった護佐丸が国王の命令により、移り住んだ城です。しかし琉球王権を狙う勝漣城主の阿麻和利に攻められ、護佐丸は自害しました。
中城城跡インフォメーション

中城城跡

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今帰仁城跡
三山時代に三山国王の居城で北山の拠城でした。背後には聖域とされるクボウ御嶽が控え、神の城として知られています。1416年に中山王の尚巴志によって三山を統一されてからは、1665年まで琉球王府から派遣された監守の居城だったといわれています。地形を巧みに利用した曲線が美しいこの城壁に立てば、色鮮やかな森と海が目の前に広がります。1月中旬から2月初旬まで緋寒桜が綺麗に咲きます。 石垣は「野面積み」と言われ、最も古い造り方と言われています。
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今帰仁城跡

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座喜味城跡
読谷村のほぼ中央にある座喜味城跡は、15世紀初期に築城家として名手だったと言われる護佐丸によって築かれたと伝えられています。屏風にたとえられるカーブした城壁は、その優雅さだけではなく、崩れにくく敵の侵入も防ぎやすいという理に適った構造で、他のグスクでは見られない独自の様式です。 城からの景色は絶景で残波岬、恩納村の海岸、遠くは那覇市や慶良間諸島まで見ることができます。
座喜味城跡インフォメーション

座喜味城跡

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斎場御嶽
知念半島にある斎場御嶽は、琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされ、国始めの七御嶽の1つと言われている琉球最高の聖地です。琉球の最高女神であった聞得大君(きこえおおぎみ)の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行われました。ポイントごとに説明文が書かれています。山の中にあるので、沖縄の自然も体験できます。琉球王最高の聖地として存立している斎場御嶽を訪れれば、沖縄の歴史を深く感じる事ができます。
斎場御嶽インフォメーション

斎場御嶽

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玉陵
1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、第二尚氏王統の陵墓となりました。墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋で、創建当初の東室には洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られたそうです。左右に袖塔上には陵墓の守護神として石彫り獅子像が置かれています。玉陵を訪れれば、まるで別世界にいるような不思議な感覚を味わうことができます。
玉陵インフォメーション

玉陵

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園比屋武御嶽石門
首里城の一角にある石門。木製の門扉を除き全て石造りで、八重山の名石工・西塘によって1519年に造られました。 国王が首里城を出て、各地を巡る際に道中の安全を祈願した拝所です。また琉球王府の最高位の神女の聞得大君(きこえおおぎみ)が斎場御嶽で即位式をおこなう際にも、ここで祈願したと伝えられています。 沖縄戦で大破しましたが、見事に復元されています。今でも祈願に訪れる人が後を断ちません。
園比屋武御嶽石門インフォメーション

園比屋武御嶽石門

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識名園
首里城の南に位置し、別名南荘とも呼ばれる琉球王家の別邸で、池の周りを散策しながら、景色の移り変わりを堪能できる回遊式庭園です。1800年に完成し、王家の保養所や外国からの使者を手厚くもてなす際などに使われたといわれています。 池の上に中国風に造られた六角堂があるなど、中国・日本・琉球の様式が混在した独特の風情が漂っています。
識名園インフォメーション

識名園